<恨みと感謝と>

テレビを見ていて一番心ひかれるのは、やはりドキュメンタリー番組だ。近頃は、NHKの「ハートをつなごう」という番組を欠かさず見ているけれども、この番組に注目するようになったのは、最近のことなので、最初の頃のものは見逃している。だから、先日放映された「ハートをつなごう・セレクション」で紹介された四話のうち、「シングルマザー」と「貧困」という二つの話は、初めて見るものだった。

「貧困」の主人公は、幼い頃に親と離ればなれになり、他に身寄りもないという不幸な生い立ちの若者だった。プライバシー保護のためか、その経歴は故意にぼかされていたが、彼は幼児期から里親に引き取られて、そこで高校生になるまで育てられたらしい。ところが、17歳になると、里親から、「もう一緒に住むことは出来ない」と引導を渡され、その4日後には施設に移されてしまう。

彼がなぜ、「一緒に住むことは出来ない」と宣告されたのか、番組では一切説明されていない。そして、施設に移ったものの、「18歳になったら出てほしい」といわれ、僅か半年で施設から放り出されてしまった理由も明らかにされていない。この辺に、何か隠された事情があるかもしれない。

施設を出た彼は、アパートで一人暮らしを始める。郵便配達やコンビニのアルバイトをして何とか自活の道を講じ始めた彼を、高二の頃からつきあい始めた「彼女」が経済面で援助してくれた。金持ちのお嬢さんだった恋人は、自炊道具から室内の備品、カーテンのような物にいたるまで、みんな買い整えてくれたのだ。少しだが貯金も出来て、彼の未来に明るい光が射し始めたかのごとく見えた。

彼が居心地のいいアパートで暮らしを始めたと知って、友達が遊びに来るようになる。そのうちに、札付きの不良だった高校の同級生が部屋に居座って動かないようになり、彼を恐喝しはじめた。

「スロットで、五万負けたから、金を貸せ。負けたのは、お前のせいなんだからな。ああ、それから俺もお前のような髪型にしたい。だから、その分も合わせて、7万よこせ」

彼女が整えてくれた部屋は、荒らされてぼろぼろになるし、同居している不良の恐喝はやまない。彼はついに、荷物をまとめて部屋から逃げ出すことになる。寝るところがないので、施設に行って泊めてくれと頼んだが断られ、公園の滑り台の上で夜を過ごすような羽目になった。彼の恋人も、ホームレスになった彼に失望して離れていった。彼は、孤立無援の身になった。役所に行って相談したこともあったが、「住み込みの職場を探すんだね」といわれただけだった。

今や、彼の周辺から家族も友達も彼女も姿を消し、僅かな貯金も使い果たして無一文になった。彼は、(どん底に落ちた人間を助けてくれる人間なんて一人もいないのだ)と思った。こうなったら、自分が人をはめる側にまわり、弱い人間から金を搾り取るしかないと、知的障害者に狙いをつけたこともある(最後に思い止まったけれども)。

そんな彼に救いの手を差し伸べてくれたのが、困窮者を援助するNPO法人だった。彼を担当することになったNPOのメンバーは、彼のために生活保護を受給する手続きをしてくれ、寝起きするアパートも借りてくれた。こうして生活が落ち着いてから明らかになったのは、彼には治療を必要とする「こころの病い」があることだった。仕事を探してもらっても、職場で気に入らないことがあると衝動的に暴れてしまうのだ。この癖を何とかしなければ、社会人として生きていけないのだ。

世話役のNPOメンバーは、彼に忠告する、「もっと謙虚にならなくてはダメだぞ」と。テレビに出演することになり「ハートをつなごう」の収録現場に現れた彼は、年長の出席者がキチンと座っているというのに、19歳の彼だけが不作法にも足を組んで座っていた。里親や施設で嫌われたのは、彼のこうした所作のせいかも知れなかった。

だが、彼にも言い分はあるのだった。「謙虚になれ」「素直になれ」という助言に従い、彼が「マッサラな気持ち」になって出直すには条件があるというのだ。世の大人たち全部を一掃してしまうことだ―――大人たちを抹殺してしまえば、これまでの自分をチャラにして再出発出来るというのである。

出席した助言者らを前にして、彼は語っている。

「花が咲いているのを見ても、腹が立つ。俺がこんなに惨めなのに、キレイに咲いていやがって、と。花が憎らしくなるからメチャメチャにしてやるんだ」

何を見ても、何をしても、人々への恨みが先に出てしまう。社会への恨みつらみが浮かんでくると、凶暴な気持ちが吹き出してきて暴れ出さずにはいられない。

その場に出演していた別の施設出身者も、同じような自らの体験を打ち明けている。この人も、ある日、一人でキュウリを刻んでマヨネーズをかけたりしているとき、不意に恨みの気持ちが吹き上がって来て、気がついたときにはキュウリもマヨネーズも、その場に叩きつけていたという。

テレビを見ているうちに、秋葉原無差別殺人事件の犯人がどんな気持ちで生きていたか、分かったような気がした。犯人の内部に、怨念が少しずつ溜まって行き、それが臨界点を越えればああしたことをするようになるのである。恨みや怨念の中身は、攻撃エネルギーだから、抑圧がはずれたら、無差別殺人にも発展する。

──「貧困」の主人公が、高校生だったときに里親から縁切り宣言され、以来恨みの生活を始めたとすれば、もう一つのケース「シングルマザー」のヒロインは、高校生の身で出産し、その後の艱難辛苦の末に感謝と喜びの生活に入っている。高校生の段階で生活が激変した点は変わりないのに、一方は恨みの人生を送り、他方は感謝の人生を送るようになっている。

高校二年のとき女児を出産したヒロインは、そのまま高校を退学している。父親は高三の生徒だった。彼女は、彼が高校を卒業するのを待って結婚している。その後二人の間には、もう一人女児が生まれた。だが、この年若い夫婦は2年後には離婚してしまう。ヒロインは二〇歳の若さで、二人の娘を抱えたシングルマザーになってしまうのだ。

この母親が、ほかのシングルマザーと違うところは、ここからである。

彼女はトラック運転手になって、大の男も及ばぬ働きを見せるのだ。朝5時には、二人の娘をトラックに乗せて保育所に預けに行き、夕方トラックで娘を迎えに行く。そんなことをしているうちに、娘がトラックの運転台から転げ落ちて大怪我をするというような事件も起きる。

母親は世間から後ろ指を指されないように、娘を厳しく育てて来た積もりだった。だが、ある日、彼女が仕事でくたくたに疲れて帰宅すると、長女が将来に備えて貯めておいた金を持ち出して菓子を買い込み、友達を呼び集めて大盤振舞いをしていた。それを見てカーッと頭に血がのぼった彼女は、憤怒に襲われながらも自分が正気を失いかけていると感じた。このままだと何をするか分からない。

本能的に冷静にならなければと思った彼女は、別れた夫に急ぎ電話して二人の娘を一時預かってもらうことにした。そして、一人になって、室内に散らかっているチューインガムの包み紙や菓子を片付けているうちにだんだんと興奮も冷めて来て、事態を落ち着いて判断出来るようになった。

トラック運転手をしながら二人の子どもを育てるということは、こんな事件の連続を乗り越えて行くことだった。困難を乗り越えて行くうちに二人の娘も強くなり、母と娘の結束は固くなった。そして、娘たちが小学生になる頃には、三人は互いを「戦友」として意識するようになった。

母親はオープンな性格だから、離婚後、何人もの男友達と親しくなり、彼らは相継いで家に遊びに来るようになった。そのうちの一人から、母親は求婚されたが、彼女は再婚することによって母娘三人の結束が崩れることを恐れて断っている。

「この頃、あのひと、遊びに来ないね」

と娘たちに尋ねられた母親は、「彼とは、別れたんだ」と軽く答えた。すると、娘たちは泣き出した。

「あのひと、お父さんになってくれると思っていたのに」

それを聞いて、母親は男と結婚することを決意するのである。長女が10歳、次女が8歳の時だった。現在、その男性との間に、新たに二人の女児が生まれ、長女は高一、次女は中二になっている。再婚後も、母娘三人の結束は固く、父親になった男性は、「あの三人の中には入って行けない」と嘆いている。「彼女らの前では、自分は少数野党みたいだ」というのである。

母親は、母娘三人の関係を核としながら、人間関係を徐々に拡げていった。彼女は自分の手に余るようなことが起きると、前夫や実家、そして学校や職場の人々に助けを求めた。今では彼女は、こうしていられるのも皆のお陰だと素直に感謝するようになっている。

テレビに登場した母親は、満面に笑みを浮かべて、「今ほど幸せなことはない」とか、「すごく幸福」と繰り返していた。本当に幸福そうだった。

「貧困」の主人公と、「シングルマザー」のヒロインの違いは何処にあるのだろうか。

シングルマザーの母親は、母娘三人の関係を核にして、その周辺に新しい人間関係を増やして行っている。これに対して「貧困」の主人公は不幸な生い立ちもあって、心理的に天涯孤独の状態にある。

信頼できる家族がいるかどうかで、人の幸・不幸が分かれるのである。考えてみれば、これは恐ろしいことだ。