幸福な生活
生徒の多くは、現在の生活を充実させることによってしか幸福は得られないと考えている。
幸福と不幸は、いつも表裏の関係にある。やっと私は幸せをつかんだ。そう思った瞬間に、何か不幸がやってくる。しかし、不幸の中にあって、次の幸せを夢見ることは楽しい。その時が一番幸福なのではないかと思う。
「幸福は求めて得られるものではない」というが、本当にそうだと思う。自分の生活に感謝の心を持ち、今の自分を幸せだと思うことで、その人はより一層幸福になれるのだと思う。
人間の幸福とは、今、生活が出来ているということ、その事だと思う。
あくせく働いて家の安全ばかり気にかけるような生活じゃなくて、とにかく今日も一日やってやるぞ、そんな声の出るような生活が、幸福な生活である。
自分の好きなことを、誰にもはばからず出来るということが幸福な生活なのだ。この目標が持てるということ自体が、幸福なのかもしれない。
どんなに貧しくても、幸福はある。すべての人間は、内面的に平等であるからだ。幸福を生み出すというのは、限りない道を旅するようなものであって、その道を進む過程で、花が咲いてきれいだと思ったり、時に道に迷ったり、そこから抜け出したりする、その一つ一つに人は幸福を感じるのだと思う。
休みの日、朝早く起きてクラブに出かけ、汗をびっしょりかき、皆と話をし、家に帰って家事を手伝い、勉強して、日記を書くとき、自然に満足感がみなぎる。テレビを見る暇もなかったし、マンガを読むこともなかったが、一日を生きたなという満足感があるのだ。こういう日を重ねていくと幸福な生活になるのだと思う。
家に帰ると、誰かが私を待っている。そして、勉強のことをそれとなく聞いてくれる。何時も笑っている両親がいる。自分を見つめる時間と、静かな夜がある。
苦しむことが出来る、悲しむことが出来る、それも一人でではなく、みなと一緒に苦しみ、悲しむ。それが、幸福な生活というものではないか。
人柄といってもいいかもしれないが、そういうものの上に幸福な生活が成り立つのではなかろうか。
家族が皆健康で、食事の時はいろいろ話をしながら笑う。
学校では気分良く勉強する。
そのためには、、家で気分良く宿題をする。
自分のハートの中に起きてくる問題と戦う。
どんなに苦しくても、とにかく戦う。
そして、決して負けない。日曜日には、山や川に行って、皆で遊ぶ。
スケートをする。
ボーリングもする。とにかく、生きている間に何かしなければならないと思う。そして、何かしていると思えるときに、しあわせを感じる。
「ああ、あの時は幸せだった」と、よく過ぎ去った日のことを思い出す。しかし、果たしてあの時に「今幸せだ」と感じただろうか。
人間としてうまれた以上、「生きる」という使命が与えられたのだから、「より人間らしく生きる」ところに幸福があると思う。
「幸せになりたい」などと考えるのは、間違いかもしれない。今を一生懸命に生きることの方が、はるかに大切なのだ。それが出来る人が幸せなのである。