若・貴のケンカ 1 あの頃、私も人並みに貴ノ花のファンだったから、貴ノ花一家や二子山部屋の消息が気になり、本欄に二度も関係記事を書いている。最近、二子山親方が惜しまれながらなくなり、これに関連して若・貴のケンカがマスコミに大きく取り上げられているので、この件についてまた口を出したくなった。
前回の記事で私は、近来二子山部屋が振るわないのは二子山親方が燃え尽き症候群になっているためではないか、だから息子の貴乃花が跡を継いだら部屋も持ち直すかも知れないという希望的観測を述べている。
ところがこの期待ははずれ、現在の二子山部屋には関取が一人もいなくなり、貴乃花と部屋付きの親方の間に風波が絶えず、部屋はむしろ衰微の方向に向かっているらしいのだ。その上に、貴乃花は兄の若乃花とも骨肉の争いを演じて、周囲の顰蹙を招いているという。
週刊誌やワイドショウは、おおむね貴乃花の側に非があるとしている。父の二子山親方は親しかった大島親方に「光司(貴乃花)が言うことを聞かなくて困る」とこぼしていたというし、週刊誌の広告には、「二子山親方が厳命 光司と景子には何も与えるな」という大文字が踊っている。
二子山親方という人は、あまり妻子と腹を割って話すことがなかったようで、このために妻は離婚して去り、二人の子供も父とはしっくりいっていなかったらしい。若乃花は晩年の父と一度だけ膝を交えてゆっくり話し合ったことがあると語っている。そして、この時はじめて親子の情愛を感じたといっている。
二子山親方は長男とは打ち解けた関係になったが、次男の貴乃花とはよそよそしいままだった。驚くような話がある。横綱貴乃花が負け続けて引退問題が浮上したとき、そのことを話し合おうと二子山親方が息子のマンションに電話したら、景子夫人が電話口に出て貴乃花は今地下のトレーニング室でトレーニング中だと答えたというのである。
相撲界の常識からすれば、弟子は引退問題について師匠に相談し、その指示を仰ぐことになっている。弟子が師匠の意に反して引退を拒んだら、師匠は独断で弟子の引退届を協会に提出してもいいのだそうだ。
ところが貴乃花は引退問題が焦眉の急になっているのに、父であり師匠である二子山親方に相談しないだけでなく、父が話し合いを求めても会うことを拒んでいるのだ(彼は父と話し合えば引退を勧められるので、会うことを避けたのかも知れない)。
二子山親方が新弟子時代の二人の息子に厳しい態度で臨んだことは、今も語りぐさになっている。彼は他の弟子たちに息子に甘いと取られるのを恐れ、鬼のような態度で臨んだのである。しかし息子たちが昇進を続け、昔の自分を超えるような人気者になるにつれて、父の息子たちに対する態度は変化し、段々腰が引けて遠慮がちになったように見える。
父はわが子の相撲内容を見苦しいほどべた褒めするようになった。弟が兄を「横綱の資格がない」と攻撃して、第一次兄弟ケンカを開始しても父は黙って、二人の気持ちが鎮静するのを待っているだけだった。
横綱若乃花が引退するときにも、二子山親方は右往左往する息子に引きずられて、自分も右往左往している。子供に対してあまり厳しく接しすぎた親は、そのことが棘となって心に残り、成人した子供と虚心に向き合うことが出来なくなるのかも知れない。
2 花田家が幸福の絶頂にあった頃に、二子山親方夫人は「幸せな家庭を築くには」というような講演をして回っていた。そういう彼女にとって第二次兄弟ケンカを開始した息子たちを見るのは、身を切られるよりも辛い気がするにちがいない。だが、彼女は立場上、積極的に動くことが出来ないのである。
今度、ワイドショウを見ていてちょっと感心したのは、彼女が評判の悪い次男を側面から弁護していることだった。彼女は離婚してから次男の貴乃花にいろいろな場面で邪険に扱われ、彼に手ひどく非難されたりもしている。彼女はそういう息子を恨むことなく、「あの子は王道を進もうとして、まわりが見えなくなっているんです」とかばうのだ。
「王道を進む」というような言い方の中に、自分のことを「凛として」と表現する古めかしいプライドが感じられて引っかかる。けれども、貴乃花が相撲道一筋に生きてきたことは確かだろう。中学校卒業と同時に猛稽古で知られる父の部屋に飛び込み、ほかの世界には目もくれず、ただ強くなりたいの一念で頑張ってきたのだ。
歌舞伎役者の家庭でも、子供は幼い頃から芝居の稽古だけに明け暮れて、その結果「役者馬鹿」といわれるような世間知らずになる。「役者馬鹿」も「相撲馬鹿」も、ひたすら努力して、地位と名声を手に入れると、自己絶対化が始まり、回りが何といおうと自分のやり方でいいんだと過信するようになる。その一方で、自分が孤立していることに対する不安があり、その不安を解消するために妙な宗教に凝ったり、怪しげな指導者にのめり込んだりする。
貴乃花は、相撲を取らせたら兄を超えていた。だが、父の二子山親方は、将来設計を兄を主軸にして描いていた。貴乃花はその間の事情を率直に週刊誌の記者に語っている。
「(次男の)私は現役の頃から(引退したら二子山部屋を出て)独立しろと言われていたので、そのつもりでした。しかし、若乃花は親方業を辞め、ああいうかたちで角界から引退した。親父もカンカンでしたよ」
貴乃花は、父からさとされてずっと、兄を立ててきたと言っている。
「私は親父から常々、『兄の言うことを聞くんだぞ』と諭され、これまでずっと忠実に守ってきた。だから勘違いしちゃったんじゃないですか、彼は。横綱まで昇進したのに恩返しもしないまま辞めて、今また、途中から入ってきていいところばっかり持っていこうとする」
表向き兄を立てていたけれども、貴乃花の気持ちは単純ではなかった。兄貴は、実力では自分に劣っているくせに、いいところはみんな持って行ってしまう、これが兄に対して抱いている根深い不満だった。父の部屋を誰が継ぐか、という問題ばかりではなかった。ファンから愛されているという点でも、貴乃花は兄に遠く及ばなかった。
「そうやって好き勝手やってね。彼も若貴兄弟の『お兄ちゃん、お兄ちゃん』と持て囃されてきて、美味しい味ばかり覚えてしまったんだよね」
こういう不満があったから貴乃花は、心酔する整体師の影響を受けて、兄に挑戦状を投げつけたのである。第一次兄弟ケンカが始まったのだ。
それまで彼は小柄な体で白星を重ねる兄を「相撲の天才」と褒めていたのに、あれは器用なだけのサーカス相撲で、相撲の本道から離れていると批判し始めたのである。貴乃花は、四股や鉄砲のような相撲技の基本とされる稽古を忠実にこなしてきたという自信があった。だから、「基本を守らない」ことを理由に若乃花を真正面から非難することができたのである。
記者たちに、「反論はないですか」と問われた若乃花は、軽く「これから基本を守ることにします」といなして皆を笑わせている。彼は大人の対応をして、マスコミの挑発に乗らなかったのである。
では、父から部屋の後継者と指名されながら、若乃花はどうして相撲界から足を洗ってしまったのか。
これは結局、気質の問題と言うしかないだろう。弟が求道型・理想追求タイプとすれば、兄の方は現実型・現世享楽タイプで、伝統を重んじる相撲界の徒弟制度的階層社会が肌に合わなかったのである。早くからマスコミに登場し、タレントの世界をのぞき見た若乃花は、古くさいしきたりに縛られた相撲界に息苦しさを感じていたのだ。
それに弟が引退して新しい部屋をおこした場合、新弟子はそちらの方に流れて二子山部屋を凌駕するようになるかも知れないという不安があったろう。また、相撲協会で弟と理事職のポストを争うようになった場合に、実績に勝る弟に負けるだろうことも想像できた。
結局、居心地の良さ悪さという点で、若乃花は相撲協会よりもタレントの世界を選んだ。しかし私は大相撲解説者の席に座った若乃花の話を聞いていて、これでタレントとしてやっていけるかなと疑問を持った。頭の回転の点で、舞ノ海のような早さも切れもないのである。彼がタレント暮らしに見切りをつけて、実業の世界に転身したのは賢明なことだった。
再び、貴乃花に戻れば、若いうちから頑張りすぎるのは考えものだと思う。
少し前に森進一の離婚騒ぎがあり、その経歴をTVで聞いていたら彼は少年の頃から舞台に立ち、苦労の末にようやく売れるようになったという。彼も努力してめざましい成果を上げたタイプであり、その結果自己の生き方を絶対化し、周囲に我意を押しつけるようになったらしい。貴乃花は宮沢りえと婚約したものの、たちまちそれを破棄して記者会見の席で彼女への愛情はないと冷たく言い切っている。森進一も妻と対立したとき、「慰謝料はやらない、子供を連れて家を出て行け」と冷たく宣告したという。彼らは身近なものと対立すると、辛抱強く打開の方法を探る代わりに、いきなり決定的なことを口にしてしまうのだ。
私はここで学歴というものも馬鹿にならないと思うのである。人はせめて高校くらいは出ておきたい。学校に行って遊んでいてもいいし、何もしなくてもいい。3年間仕事から離れてぶらぶらしていれば、いろいろなタイプの人間やその生き方がいやでも目に入ってくる。それらを眺めているだけで、自分を相対化して眺めることが出来るようになるのだ。
貴乃花の母親は、息子を評して「回りが見えなくなっている」という。そうではないのだ。貴乃花にとっても森進一にとっても、「回り」なるものは最初から存在せず、ただ自分が歩いてきた一本道があるだけなのだ。だから、自分に合わないものを、簡単に切り捨てることができるのである。
日本一幸福な家族といわれた花田家が、いま、母・長男・次男が三者バラバラになってしまっている。二子山部屋のファンだった人間として、恩讐を超えて彼らが再びひとつにまとまる日がくることを願わずにはいられないのである。(05/6/5)
追記
上記の文章を書いた時点では、「若・貴の対立」を取り上げている週刊誌は二誌だけだった。ところが次週になると、すべての週刊誌がこれを取り上げ、ワイドショウも連日これに論評を加えるという騒ぎになった。
事件がこれほど大げさなものになったのは、貴乃花がいたるところで衝撃的な発言を繰り返したからだった。まあ、よくしゃべること、しゃべること、頭が少しおかしくなったのではないかと疑われるほど、よくしゃべっている。
母親の憲子は、貴乃花について「あの子は、話し出すと滔々としゃべる子なんですよ」と語っているし、身近で兄弟を見てきた人の証言によると、子供の頃から兄弟ケンカをすると、いつも弟が兄を言い負かしていたという。確かに、頭の回転の速さで、弟は兄にまさっている。
頭のキレで弟に押されがちな兄は、表情や仕草で人を笑わせて勝ちを取る路線を心がけるようになる。かくて兄はどこか浮ついた軽い人間になり、弟はどっしり構えた自信たっぷりな人間になった。
両親はこういう二人の息子のどちらを評価したかと言えば、力士としての実績では弟の方が立ち勝っているけれども、相撲部屋の経営などの実務面では唯我独尊的な弟より人をそらさない兄の方がすぐれていると見て、兄を後継者に選んだのだ。父も母も、花田家の将来を兄に託したのである。親戚たちもこれに異存はなかった。
弟は、すべての点で自分がすぐれているのに両親が兄にばかり目をかけているのが内心不満だった。兄弟で相撲部屋に入ってみると、ここでも兄は先輩の力士とうまくやって、自分だけが手荒いしごきを受ける。この頃から、弟の心にひがみが生まれた。兄は先輩力士に自分のことを告げ口しているのではないか。だから、自分だけがイジメの対象になるのではないか。
兄弟そろって横綱になってからも、兄に対する不満は昂じていく一方だった
。兄はろくに稽古もしないで、要領だけで相撲をとっている。こっちは基本からたたき上げて不動の実力を身につけたのに、兄は相変わらず器用に立ち回って、巧みに勝ちだけを拾っている。あれでは長持ちがしない、そのうちに沈没するに決まっている。弟が兄を公然と非難して、第一次兄弟ケンカが始まったときに、父は弟の方を「洗脳されている」と評した。貴乃花はこれも兄の差し金だと感じた。兄が母を説き、母はお人好しの父を説得し、あのようなことを父に言わせたのだ。
以上が記者会見その他で語られた貴乃花の言葉を通して推測される彼の心境だが、これらを見ていくと彼の言葉にはいろいろな矛盾が感じられる。私が見苦しいと思ったのは、貴乃花が父に対していかに細かな心遣いをしてきたか、精神的に経済的に父をどれだけ助けてきたかを縷々述べているところだった。こうしたことは、子としてあまり語るべきではないのである、特に死者に口はないのだから。
貴乃花は、誇らしげに自分たちは母方の祖父母の面倒も見ていると語っている。が、祖父母は母の日などにプレゼントが贈られてくるけれども、特に世話になった記憶はないという。彼の場合、自分のやったことになると針小棒大になるのである。
貴乃花は、兄や母だけでなく、叔父の先代若ノ花の秘事に触れて、その窮地を救ってやったとも言っている。彼の口にかかると、自分以外のすべての人間は悪で、正しいのは彼一人ということになってしまう。
彼は離婚後の父が内妻にしていた女性にも攻撃の矢を向け、「身内の問題」をマスコミにもらしたといって、非難している。だが、今回彼はその身内の問題を「滔々と」しゃべりまくっているのだ。
彼は又、自分は部屋を継承して父の志を継いでいるのに、兄は二子山部屋を放り出し相撲界から逃げ出したと非難する。しかし彼は二子山部屋のタニマチを切って経済的基盤を危うくし、父の代には50人いた弟子を13人にまで細らせてしまっている。
彼は部屋を継承してからも、マンション暮らしをやめず、弟子の稽古がすむとさっさと家に引き揚げて、後には監督者不在の部屋に若い弟子ばかりが残されるという状態にしている。これではとても部屋をもり立てているとは言えない。兄から、「貴乃花部屋は(中身が空っぽで)看板だけ」と酷評されても仕方がない有様なのだ。
今日のTVに景子夫人が映っていた。自宅マンションから貴乃花部屋に掃除をしにやってきたところを撮った映像である。掃除に来たというのに、衣装も何もかも、ファッションモデルのような一分の隙もない格好をしている。これで、相撲部屋のおかみさんをちゃんとやっていけるかと、人ごとながら心配になった。
総じて花田家の皆さんは、空前の人気に毒されて自己像を狂わせている気配が濃い。
母親は「私どもは世界一の親と思われていた」という。「日本一の親」なら分かるけれども、「世界一」となると、ちょっとオーバーな言い方ではなかろうか。彼女はまた、タレントを志望する長男に「あなたは、世界一のお兄ちゃんなんだから」といって励ましたともいわれている。
テレビで対談する貴乃花を見ていたら、彼は相撲部屋の師匠たるものは「弟子の前では気高くしていなければならない」といっていた。こんな調子だから弟子は減っていくし、部屋付きの親方の中に袂を分かつ者も出てくるのである。弟子と寝食を共にし、彼らを厳しく鍛え上げながら、時に冗談を言ったりなだめたりするのが本来の師匠であり、裸で触れあいつつ師弟一体となって作り上げて行くのが「相撲道」なのではないか。
貴乃花が母親に「相撲一途にしてきたから、社会勉強が足りない」といわれ、たちまち瞬間湯沸かし器のようにいきり立つのは肥大した自己像を持っているからだ。。母親は、孤立しがちな次男を弁護するために、社会勉強云々を持ち出したのだった。だが、貴乃花は息子をかばおうとする母親の心情に一顧もあたえず、その言葉尻をとらえて「社会勉強が足りないのはお前の方ではないか」と母に歯を剥くのだ。こんな親不孝な男を見たことはない。
世上、花田家では、世慣れた母と長男がタッグを組み、これに対抗して求道的な父と次男のコンビがあったと見られている。だが、プライドの高さという点で母と次男は実によく似ており、それに辟易していたという点で父と長男は共通していたという視点もあるのである。
今度、若・貴関係を取り上げた週刊誌やワイドショウを眺めていて、得ることが多かったのは家政婦の伝える花田家の内情だった。
二子山親方は憲子夫人を非常に愛していて、「ノリちゃんはね、憲子って言うんだ、本当はね」という歌を口ずさんでいたという。それだけに大変嫉妬深くて、夫人を見ている男がいたというだけで焼き餅を焼いた。年下の医師との不倫が明らかになってからは、妻に対する怒りをむき出しにして、妻とすれ違う時にはパッパと袖を払うような仕草をしたり、「クソ女」と聞こえよがしにつぶやいたりしていた。
この家政婦は、若乃花に「クソばばア」といわれたことがある由で、とりわけ彼に対して厳しい言い方をしている。
テレビでは優しくて柔和な「お兄ちゃん」を演じていますが、あの人は内面と外面が全く違います。ソファに寝転んでタバコをふかしながら憲子さんに話しかけることもしばしばで、不倫騒ぎの時も、「ねえ、男狂いもいいけどさ、俺この年で妹とか弟とか要らないからね。それだけは頼むわ」なんて言っていました(「週刊文春」)
家政婦は一貫して貴乃花の味方をしているが、一族の貴乃花を見る目は厳しく、彼と父の関係は断絶状態に近く、晩年の二子山親方は、貴乃花を見捨てて兄を頼りにするようになっていたといっている。
「若・貴戦争」は、序章がはじまったばかりである。にもかかわらず、すでにこれだけの見苦しい光景が暴露されている。これが裁判沙汰にでもなれば、もっと醜い話が出てくるだろう。が、何もかもさらけ出した後でなければ、一家再生の方向は見いだせないかもしれない。今、何より必要なことは家族の全員が狂った自己像を修正することである。(05/6/13)
追記2
もう「若・貴問題」はたくさんという感じがして来て、TVに貴乃花の鳥の巣頭が出てくると直ぐチャンネルを切り替えていたのだが、「週刊文春」と「週刊新潮」がこの問題で全く逆の記事を出していると聞いて、またぞろ、好奇心を刺激されて、両方の雑誌を買ってきた。
「週刊文春」と「週刊新潮」は勢力伯仲している週刊誌で、発売日も同じになっている。こうした場合、一方が独占記事を発表して注目を集めると、他方がこれに水を差す記事を載せてバランスを取る慣習があり、今回はその典型的なケースになっている。
「若・貴問題」で先行したのは、「週刊文春」の方だった。同誌はすべての週刊誌に先んじて貴乃花の談話を取りつけ、ワイドショウが一斉にこの問題を取り上げたのを見澄まして、さらに「元凶は母の憲子」というショッキングな貴乃花の談話を載せた。そして今週号では、貴乃花の話を裏付けるために、兄若乃花と母憲子、それに叔父の先代若ノ花の非をあばく特集を組んでいるのである。
それによると、母の憲子には金銭疑惑があるとされる。彼女は離婚後高級外車(ベンツ)を乗り回して贅沢な生活を送っているが、その金の出所が怪しい、二子山部屋の金を着服しているのではないか、というのだ。
兄の若乃花については、その素行の悪さをやり玉にあげている。彼は、父の闘病中も高級クラブに通い、ホステスを口説きまくっていた。
叔父の先代若乃花は、韓国の女性に生ませた隠し子を二子山部屋に押しつけたり、弟の二子山親方に自分の年寄り名跡を市価の倍の3億円で買い取らせたりしている。
とまあ、こうしたことを書き連ねておいて、最後に「若・貴どっちにつくか各界勢力図」という章をもうけ、ここで二宮清純を貴乃花支持側にしているのである。
私が見ていたTV番組では、二宮清純は貴乃花を批判する意見を述べていた。貴乃花は「沈黙の美学」で通してきたはずなのに、今や「ぺらぺらと」しゃべって自己の美学を裏切っていると述べていたのだ。これが果たして貴乃花を支持する意見なのだろうか。
週刊誌が独占記事を提供してくれた有名人に肩入れするように、TVも自分の局に出演してくれた人物を声援する傾向がある。その辺の事情を考慮に入れたのか、貴乃花はほとんどすべてのテレビ局に出演している。
テレビ局が出演者に好意的な扱いをするのは、分からないでもない。しかし、それがあまり行き過ぎると困ったことになるのだ。
「Theワイド」という番組は、自局に出演してくれた貴乃花を支援するためか、司会者をはじめコメンテーターの有田・南といった面々が、声をそろえて「若乃花はTVに出て語るべきだ」と強調していた。これには驚きを通り越して呆れてしまった。
普通の常識をそなえた人間にとっては、まだ親の葬儀もすまないうちにTVに顔を出し身内を攻撃するなど、到底許し難いことなのだ。だが、弟に引き替え兄の方はじっと我慢している。成る程、兄は素行も悪く欠点だらけの人間かも知れない。しかし、弟の挑発に乗らず、沈黙を守っている点は、まさに称賛に値することなのだ。世の大人たちは、みな、その点を高く評価しているのに、司会者らはそれが悪いというのだから呆れるしかないのである。
もっとも「ザ・ワイド」のコメンテーターも阿呆な人間ばかりではない。今日の番組を見ていたら、医学畑出身のの某氏は貴乃花が強迫神経症ではないかと推測し、別の大学教授は「過ぎたるは、及ばざるごとし」と言っていた。貴乃花の頭にあるのは、父の残した資産を抱え込んで離すまいとする執念だけであり、このために強迫神経症者のような、あるいは「熱いトタン屋根の上の猫」のような行動に出ているのだ。
弟が兄に敵意を抱くようになった背景には、兄弟で争った優勝決定戦があるとする推測もある。
二子山部屋は八百長相撲をしないということで知られていたが、そのタブーを親方自身が破り、決定戦の前に父は「光司、分かっているだろうな」と言ったという噂があるのだ。
決定戦のビデオを見ると、確かに変なところがある。土俵の中央で四つに組んだあとで、兄が寄って出た。こらえようとした弟を、兄が左に切り返えしたため貴乃花は膝から崩れ落ちる。この倒れ方が、いかにもあっさりしていたのである。このあとで兄が、「もう二度と兄弟で相撲を取りたくない」という意味のことを口にしていた点もひっかかる。
もし、これが八百長だったとしたら、貴乃花が後々までこだわる理由も理解できるのだ。彼の心に(あのとき自分は何も言えなかったが、兄は正々堂々と勝負したいと父に抗議すべきだった)という不満が残ったにちがいないからだ。
だが、貴乃花が脅迫神経的に兄や母、そして父の内妻までやり玉に挙げて攻撃しつづけるのは、やはり資産問題が頭にあるからだろう。彼は競争者を全部排除してしまいたいのである。
私は貴乃花のファンの一人だったが、今回の彼の暴走にはがっかりしている。マスコミも、贔屓の引き倒しをするのでなく、彼に対して厳しい叱正を加えてほしいものだ。
「週刊新潮」は、貴乃花の発言のうち、ウソと思われる七つをあげている。このうち、誰にも分かるウソは、「宮沢りえとの破局は兄のせいだ」という貴乃花の言葉だろう。破局の原因が、宮沢りえの母親の尊大な発言にあることは、半ば公然の事実になっており、地方に住む私などの耳にも届いていたからだ。原因が相手の母親にあるにもかかわらず、もうりえへの愛はないと言い切った貴乃花の冷たい態度に思いやりの欠如を感じた者も当時多かったのである。
貴乃花があちこちでしゃべる話を聞いていると、老子の「多言は、しばしば窮す」という箴言を思い出す。彼に「沈黙の美学」に戻ることを勧めたい。(05/6/17)