自殺は人間の特権
私は、いつ頃からか「自殺」について真剣に考え始めた。・・・・・自殺はいけないということになっているが、どうしてだろうか。自殺は人間の特権ではないかしら。
他の動物は、やがて死が来ることを分からないで生きている。人間はそれを知っていて暮らしている。
自殺とは、どうせ死ぬことになっている生命を、神さまが判決を下す前に、自分で決定を下すことじゃないの?
万能といわれる人間が、なぜ自分の死だけは自分できめてはいけないの?
人間の誕生は、自分の意志ではない。だから、せめて死ぬことだけは自分の意志で決めてもいいのではないのかな。
いつ頃からか、私はそんなふうに考えるようになっている。
私は子供を産みたくない
猫が小さな虫をしきりに捕ろうとしている。その小さな虫を捕ってやると、直ぐに食べてしまう。そして眠くなって寝てしまう。猫に感情はあるのだろうか。一体、何を考えて生きているのか分からない。
この猫も私も、何時かは死ぬだろう。そして、さっき食べられた虫はとうに死んでいる。ただ、その虫は死ぬことが少し早かっただけである。
生あるものが死ぬと、誰かが嘆く。花が散るとき、虫が死ぬとき、人が死ぬとき、人々は悲しがる。それなのに、なぜ人間は悲しみの種である人間を生むのだろうか。
死んでしまったら、今ある感情というものはどうなるのだろうか。仏教ではよく地獄・極楽と言うが、体はなくなっているのだから、そこに行くのは「心」だけだ。
人は祝福されて結婚し、生まれてくる小さな生命も皆から祝福される。そして、死んで悲しまれる。そんなことを人間は長い間繰り返してきた。どうせ死ぬなら、生まれてこなければよかったのに。
こう考えてくると、私は決してこの世に新しい生命を送り出そうとは思わない。最近、現国で宮沢賢治の「永訣の朝」を学習した。この時に、今まで以上にこのことを強く感じた。
工場で働いて
夏休みの一週間、工場で働いた。
何百人という人たちが、同じようにだぶだぶの茶色の作業着を着て、上役の視線の重みに耐え、黙々と働き続ける。朝から晩まで、不気味な機械音と強い悪臭に悩まされながら。
働いている人たちは、みんな若い。なのに、なぜこんな喜びのない職場を選んだのだろう。彼らは何のために生きているのだろう。そして、私は、何のために必死になって勉強しなければならないのだろう。
空気が重く私にのしかかってきた。私は働きながら、どうもがいてみても脱出できない泥沼に落ち込んだような気がした。
もう後戻りは出来ない。人間は、何のために生き、なんのために働くのか。分からない。何も分からない。でも、大人の世界に一歩足を踏み込んだようなさびしい気がする。
死を考えていた私
中学時代、顔には自分の気持ちを出したくなかったが、私の表情は何時も寂しそうだったろう。人と話をしているのは、本当の私ではなかった。私は顔にだけわざと作り上げた笑いを浮かべて、さも楽しそうに会話していた。そんな時、心はとても惨めだった。私には、人の心の奥まで見えるような気がした。本当に見えたのかもしれない。
死ということを何度考えたかしれない。
死への怯え
小学校6年の4月のある日の夕食後、私は学研の「科学」という本を何の気なしに読んでいた。
その中に、ある動物園のカメが餌と一緒に投げ込まれたビニールを食べて死んでしまったという記事があった。単に一つの実話として「かわいそーだナ」と思って読んでいたら、それまでだったかもしれない。
でも、二回ほど読み直しているうちに、急に死という言葉が頭に大きく浮かんできた。それまで「死」ということを考えたことがなかった私、死ということの意味を知らなかった私が、突然「死」について考え出したのだ。
「死んだら一体どうなるのだろう? 死って一体何なのだろう?」
私は不安と恐怖で胸がいっぱいになり、ずっと泣き続けた。
それから数ヶ月の間、「死」の観念が頭から離れず、雨の日にはわざと外にでて雨の中に立ちつくしたり、父母に優しい言葉をかけられると泣き出したりした。夜は夜でずっと寝付かれず、食欲もなくしてしまった。私はまるでノイローゼになってしまったのである。
それでも半年、一年とたつうちに死について考えることが少なくなり、時折、鋭い不安におそわれる程度になった。よく「物心が付く」といわれるけれど、私はあの日から「物心」がついたのだと思う。今ではもう、私にも死について考えることがなかった「無邪気な時代」があったとは信じられないくらいだ。
私はあの日から、どんどん変わっていった。私の考え方はあの日から変化していったように思う。現実的になっていったのである。