桜と雪嶺

この冬は、ずっと家にこもっていた。今年は寒さが厳しかったということもあるが、このところ本の読み方が変わってきて、調べ事をすることが多くなったからだ。興の赴くままに手当たり次第に本を読むというやり方が、テーマを決めて特定の本を読むというふうに変わってきたのだ。

これはあまり喜ばしいことではない。目が疲れやすくなってきたこと、興味の対象が乏しくなってきたことが原因で、こうした変化がうまれたのである。本の読み方に「調べる」という色彩が加わってくると、どうしても机に向かっている時間が増えて来る。そして、「閉門籠居」という状態になってしまうのである。

本の読み方と同じような変化が、バイクの乗り方にも現れている。以前はやはり興の赴くままにバイクを走らせ、気に入った被写体があれば無作為にデジカメのレンズを向けていた。それが近頃は写真を撮るにも、いくつかポイントを決めておいて、そこを撮るようになっている。今年の一月、久しぶりに調べ物をやめて外出するときにも、自然に頭に浮かんだ目的地もそうしたポイントの一つだった。


ということで、雪晴れのある日、防寒の用意おさおさ怠りなく、バイクに乗って伊那山脈の山麓に出かけた。ポイントにたどり着くまでには、段丘の坂を上って六道の原を横断する行程を経なければならない。

 六道の原

 

六道原に出る。見はるかす平坦な畑地が雪におおわれ、真っ白に輝いている。高台がこんなにまぶしく輝いているのは、雪晴れの日だけである。雲一つない空に冬の太陽がかかり、風景全体がハレーションを起こして目にいたいほどだ。段丘の下にある市街地は見えず、遙か彼方に、中央アルプスが冬霞に包まれてかすんで見えるだけだ。

ポイントにつく。前方に一群の民家が並び、その向こうに仙丈岳を望むという村部のはずれである。去年の夏、ここを通りかかって、仙丈岳の全景が一望できる点が気に入り、定期的な巡回点に繰り入れてきたのだった。

このポイントで今年撮った雪景色と、去年の秋に撮った晩秋の写真を並べてみる。肝心の仙丈岳がハッキリしないのは、これらを撮影した日がそろって快晴で、遠くに霞がかかっていたからだ。よく晴れた温かな日は、霞がかかって遠方がぼやけて見えるのである。

      

次の写真は、このポイントに出かける途中で見つけた茅葺きの家である。この写真を撮ったのは、上掲の雪景色を撮る以前のことだったが、(ああ、いいなあ)と思った瞬間にバイクを止めてカメラを向けていた。二つの蔵の間から、どっしりした家が覗いていて、洗濯物が干してあるところも懐かしかったのだ。

カメラを向けながら見ると、ガラス戸の内側に縁側があり、その奥に障子戸がある。そして障子戸の向こうは、田の字型か目の字型の間取りになっているのである。屋内の間仕切りを取り外せば、数十畳敷きの大広間になり、婚礼や仏事が自宅で営めるのだ。茅葺きの家をみると、そうした「内部構造」まで頭に浮かんでくるのである。


一月に雪景色を見物に出かけてから、また、メモを取りながら本を読むという「閉門籠居」の生活に戻った。

そのうちに春になり、新聞に桜の便りがカラー写真入りで載るようになった。再び、桜の写真を撮るためにバイクを走らせる季節になったのである。

二階の窓から見ると、麓の桜は満開になったが、遠くに見える空木岳はまだ雪をかぶって真っ白である。それを眺めているうちに、(月並みだけれど、雪山をバックに桜の花を撮ったらどうだろうか)と思いついた。これまでのように桜の古木を漫然と撮るのではなく、あらかじめ「桜と雪嶺」というテーマを決めて撮影に出かけるのだ。そうときめると自然にバイクを走らせる道順まで浮かんできた。火山峠を越えて、天竜川の西岸沿いを南下するというコースである。このコースなら中央アルプスを背景にした桜の写真を撮ることが出来るはずである。

思い立ったが吉日、午前11時に家を出た。

家を出て40分あまり、まだ火山の峠道を走っているうちに、早くもちょっと嗜欲をそそる風物が目に入ってきた。桜とは違う大きな木(コブシらしい)が、雪山を背に真っ白な花を付けているのだ。道ばたでバイクを止め、エンジンをアイドリングさせたバイクにまたがったままで、カメラのシャッターを切る。本日の作品第一号である。

 この道筋もよく通るけれども、こんな大きなコブシ?があるとは気がつかなかった

峠を降りて天竜川の河岸に出る。写真好きの人間の考えることは皆同じらしく、河岸の桜を撮っている二人の男女を見かけた。二人とも、バックにアルプスを入れようと苦心している。それを横に見て先へ進むと、川とは反対側の高台に運動場のような施設があり、その周りの桜が今や満開になっていた。

(あれだ)と坂を上ってバイクを運動場の脇に止め、撮影するポイントを探す。そして何枚かの写真を撮り、(まあ、こんなもんだろう)と帰途につくことにした。この頃は無欲になって、撮るべきものを撮ってしまうと、長居をしないでさっさと引き上げるようになっている。下の3枚は、その折りの写真だ。

       

写真を撮りに出かけるときには、往路で好ましい素材を見つけても、帰路を別の道にして結局その写真を撮りはぐれてしまうことが多い。今回はその轍を繰り返すまいと、もと来た道を忠実に引き返した。そして、目星をつけておいた桜の写真を撮ったが、あまりいい写真にはならなかった。次の写真がそれで、構図にひねりを加えて新機軸を出そうとしている点など、苦しまぎれの写真である。

戻る