天皇家の父子断絶

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芥川賞の入選作が掲載されているというので、3月号の文藝春秋を買ったら、天皇家の父子断絶に関する特集記事が載っていた。

「天皇と皇太子父子相克の宿命」という大活字の見出しから、菊のカーテンで守られて来た宮廷の秘事が暴露されているのではないかと思ったけれども、もちろんそんなことはなかった。筆者は、これまでに知られている事実をもとにして、天皇家の父子断絶の背景を考察しているだけなのだ。

筆者の言わんとするところを、私流の解釈を加えて推察すれば次のようになる。

現天皇は自身に課せられた伝統的な公務を果たす一方で、私生活では近代的な家庭生活を営み、わが子の教育にも民主的な手法をもってして来た。つまり公的業務は旧例墨守主義、家庭生活は近代的なマイホーム主義、という二重原理でやってきたのだ。

しかし、天皇・皇后によって民主的市民的な育てられ方をした皇太子は、天皇よりさらに先へ進み、マイホーム主義を徹底させて夫婦の結びつきを何より大事にする生活スタイルを作り上げた。そして、同じスタイルを公務にも及ぼし、新しい公務のありかたを模索するようになった。

現天皇の公務を見ると、宮中祭祀が年に32回もある。この祭祀には悪魔払いのために弓のツルを鳴らす専門の役人がいたりして何かと大変らしいのだが、皇太子は天皇と違ってそうした実生活とは無縁の古めかしい儀式にあまり関心がないらしいのだ。

皇太子は、ある時、民間の知人に「いいですね、皆さん仕事に行けて」と話しかけたという。それを聞いた知人は、皇太子が式典での「お手ふり」だけでない、もっと生き甲斐のある仕事を求めているのではないかと感じた。

だが、改革を求める皇太子の前に立ちはだかる壁は厚かった。

天皇には、身体障害者など弱者慰問の行事に力を注いできたという自負があり、また、宮内庁職員を完全に掌握しているという自信もあったから、宮内庁や皇族の行事に疑問を投げかけた皇太子の発言を不快に思った。

「皇室記者大座談会」と銘打った週刊文春には、次のような記者の発言が載っている。


宮内庁職員の意識は上から下まで召し使いそのものですよ。長官でさえ「召使長」にすぎない。昭和天皇の時代はすべて「よきにはからえ」だったので侍従や女官も自覚を持ち、意見もしやすかったでしょうが、いまの天皇はご意思がはっきりされていますから・・・・・

また、月刊文春には、ある宮中関係者の「あそこは陛下と皇太子さまの立場に天と地ほどの差があって、陛下のお考えがすべてなんですよ」という発言が載っている。皇太子を批判した秋篠宮の発言にも、こうした力関係が反映している。

だが、皇太子批判を行った天皇と秋篠宮の見落としている点が、ひとつあるのだ。それは生まれながらに皇室で育った者には狎れっこになって疑問を持たなくなっている非人間的な側面が、宮廷にはあるということなのだ。これあるがために美智子皇后は失語症になり、雅子妃も精神を病むことになった。

皇后が心を病んだときに、現天皇がどれだけ妻の支えになったか知らない。だが、皇太子は全力で妻を支えようとして、異例の皇太子妃擁護の発言をすることになった。これこそ新時代の夫婦のあり方なのだ。かりそめにも女房の尻に敷かれているなどというべきではないだろう。

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では、国民は皇室をどう見ているのだろうか。皇室の将来像についての国民の意見は、真っ二つに割れている。

皇室を国民の側に引き寄せて、より親しみやすいものにしたい民主派と、皇室を国民から引き離して神格化させたい民族派が対立しているのだ。国民の多数は、皇室が民主化されることを願っているが、民族派はこうした動きに頑として反対する。

週刊文春には、「皇室記者大座談会」につづいて、「保守派の論客」中西輝政による、まるで戦前に戻ったようなコメントが掲載されている。「保守派の論客」と名の付く面々はよほど朝日新聞が嫌いらしく、このコメントにも「皇室の将来に刃を向けた朝日新聞」というおどろおどろしい題がついている。

朝日新聞は「開かれた皇室」を唱導して、古いしきたりを改廃せよと煽っている。だが、そんなことをすれば、皇室の影が薄くなるではないかと中西は言う。朝日の記事は「皇室を卑近なものに貶めることで、皇室という存在を限りなく希薄なものにする底意」を秘めているというのである。

彼は皇室を身近なものにすることに反対する。例えば、イギリスの王室は私事を公開したために国民の笑いものになった。日本も「菊のカーテン」を引き上げれば、「皇室への忠節心」を失わせることになる。そこで、中西は提言するのだ。


これまでカーテンを上げる方向でやってきた日本の皇室も、ディグニティー(尊厳)を重視する観点から、そろそろカーテンを下げる時期に来ているのではないかと感じています。

成る程、戦前なら天皇を秘密のベールに包むことで神格化出来た。終戦の詔勅をラジオで聞くまで、国民は天皇の肉声を耳にしたことが一度もなかった。

だが、情報化社会の現代に同じことをやったら、マスコミにあることないことを探り出されて、ディグニティーが確保されるどころかカリカチュアの種にされるだけである。隠すより、顕わるるはなし。残念ながら、九重の奥に鎮座する皇室にディグニティーを感じるような単細胞日本人は、中西教授以外に見あたらない。どうも彼は現代日本人を過小評価し、ご自分と同等の知能しか持っていないと錯覚しているらしい。

自民党の憲法改正プロジェクトチームは、天皇の地位を「わが国の国柄に基づく」とし、皇室を「わが国の文化・伝統の体現者」とするという案を作成している。現憲法では、天皇の地位は民意によるとなっているから、民意が変われば天皇制は廃止されることになる。だから、天皇の地位を民意から切り離して、天皇制の永続をはかろうとしたのである。そして、その天皇に伝統の保持者としての役割を担わせている。

繰り返して言うけれども、「わが国の文化・伝統の体現者」であることを無理強いすれば、繊細な神経を持った人間は耐えられなくなるのだ。困難な仕事を気安く皇族に押しつけることこそ、不敬というものではないか。皇族にも、大相撲は嫌いだが、サッカーは大好きという人物がいるはずである。

民族派の活動家たちは、天皇自身が天皇神格化の動きに逆らってきた事実を知らねばならない。

明治天皇の女性関係は、相当おおらかだったらしく、若い頃の明治帝が夜な夜な女官らの寝所に通うので、お目付役の山岡鉄舟が途中の廊下で待ち受け天皇を投げ飛ばして説諭したという話がある。大正天皇が、皇后以外の胎から生まれたことは、周知の事柄になっている。

こうしたことを反省した昭和天皇は、天皇家も一夫一婦制を守る決意を固め、女官らを通勤制にすることを提案している。そして常磐会(皇族・華族の夫人らの会)をバックにした皇后の反対意見を押し切り、皇太子妃に民間出身の女性を選んだ。

そして民間出身の女性を妻とした現天皇は、それまで別々の扶育係の手で育てられていた子供たちをひとまとめにして、夫婦で育てることにしたのだ。マイホーム天皇制が誕生したのである。そして、こうした流れの行き着く先に固い絆で結ばれた皇太子夫妻が出現した。この流れを押し戻すことは、もう不可能と言っていいのだ。

月刊文春には、父子断絶の問題に関連して7人の識者が小論を載せている。
このうちで流石だと思わせたのは、吉本隆明の「家訓の重圧に耐えられるか」と題した小論だった。吉本は、文中で皇后や皇太子妃のことを「美智子さん」「雅子さん」と記し、秋篠宮をただ弟と表記している。皇室関係の記事といえば、最上級の敬語をべたべた塗り重ねた鬱陶しい文章の多い中で、吉本の一文は風通しのよさで際だっていた。

皇族に敬意を払うことに反対しないが、あたかも人間以上の存在であるかのようにあがめ奉るのは間違っている。われわれは、金正日を「偉大なる将軍様」とたたえる国を、日夜見ているではないか。

       (ついでに言えば、今回の芥川賞作品「グランド・フィナーレ」はなかなか面白かった)

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