「芝平の里」を訪ねる
週刊のローカル紙を読んでいたら、以前に伊那谷の奥に住んでいた人の手記が目にとまった。高遠町の奥、旧名を三義村芝平と呼ばれていた僻地で暮らしていた小林勝幸という人が新聞に寄せた手記である。
三義村芝平は海抜1000メートルの高さにあるから、平坦地の伊那市などより桜の咲くのが10日ほど遅れる。寒さという点では北海道並みの地域で、ここに敗戦の頃は90戸ほどの農家が散らばっていた。
春が来ると、このへんの子供たちの楽しみは母親がヨモギを摘んで草餅を作ってくれることだった。だが、これも三義村芝平では春の芽だちがおそい。そこで少しでも早く草餅にありつこうと、高遠公園の花見の帰りに道ばたに生えているヨモギを摘んで帰るのが常だったという。
小林勝幸さんは、書いている。
「芝平から高遠の公園まで二里半(約10キロ)ほどあり、幼い日、往復母に連れられて歩き、一日がかりの花見であった。
ある年、公園に行く途中で冷たい雨が降り出し、傘も合羽も用意していなかったので、母の着ている縮緬の着物(和服)がぬれるにしたがって縮み上がってしまい、花見をするすることができず帰路についた。
私がまだ小学校に上がらず、すぐ上の兄が小学校二、三年のころのことで、今もその悔しかったことが忘れられず、また大変なつかしい」これを読んで三義村芝平を訪ねようと思い立ったのは、私も昔を思い出したからだ。私たちが子供の頃には、母がこしらえてくれる草餅や炒り豆がオヤツだった。レジャーといえば、村祭りや花見のようなものしかなかった。そういう幼い頃の記憶を、この手記が呼び起こしてくれたのである。
バイクで高遠町に通じる基幹道路に乗り出してみたら、好天に恵まれた休日だった関係で、行き交うクルマやバイクが多い。それも、高遠を過ぎると、めっきり少なくなる。三峰川の支流山室川に沿って、谷を登って行く。道路脇に茅葺きの物置が、目に付く。これも、こうした山奥だからこそ残っているのだろう。
急傾斜の斜面を見上げると、今にも落ちてきそうな民家がある。それを下から撮影したのが次の写真で、画面左側の花桃の後ろにちらっと見えるのが家の白壁。
何しろどこもかしこも斜面が迫っているので、石垣を積んで棚のような空き地をこしらえ、その上に家を建てるしかない。次の写真も道から見上げながら撮った石垣の家で、右手に土蔵があるけれど、壁が土壁だから背景に紛れてしまって写真では定かに見極めることが出来ない。
山室川の中流あたりまで登ると、「岩魚の里」という立て看板と並んで、
「お宿 分校館」
という看板が出ている。更に進むと、これよりずっと大きな分教場がある。この地区には、分校が二つあり、旅館になっているこの小さな分校は低学年用の学校なのだ。一年生から三年生までの幼い生徒は、上流にある大きな分校に通うのが大変だから、近くの保育園に通うような感覚でここに通っていたのである。覗いてみると、教室だったらしい部屋が三つあり、それが岩魚釣りの客用の部屋になっていた。
秋葉街道筋の「平家の里」を訪れたときには、古びた廃屋と真新しい別荘が混在しているのに注意を惹かれた。この「芝平の里」でも、打ち捨てられた廃屋と、どっしりしたログハウスがコントラストをなしている。次のは、古い家を取り払った後に作られたとおぼしいログハウスで、家の裏手に大型のプロパンガスボンベが二本あるところを見ると、所有者は頻繁にここにやって来るらしい。
次は道路脇で見かけた廃屋の一つ。「たけや商店」という看板の両脇に「百貨店」という文字と「入笠山土産」という文字が見える。土産物と一緒に、地域が必要とするあらゆる生活用具が売られていたのだ。入り口のガラス戸や窓が取り払われて、店内には商品を並べて置いたらしい台が放置されているだけだった。
道路は山室川の右岸に沿ってはしっている。民家はこの右岸にとびとびに残っているが、反対側の左岸にある家はほとんど無人になっている。左岸に家を建てれば、川を渡る橋を自前で造らなければならない。それも増水期に川が急流になるから、しっかりした橋脚を設けるか、橋脚のない橋を作る必要がある。見たところ、どの橋も相当な予算を投ぢて作ったらしい堅固な橋である。その橋を残したまま、家を放棄するのには、それなりの理由があるに違いない。
大きい方の分校跡には、「芝平の里」という石碑が立っている。この地を捨てて町場に出ていった人々が、昔をしのんで建立したのだろう。桜前線が北海道を北上中と報じられているこの日、分校の桜も満開だった。
芝平の里を見たら、そのあと芝平峠に出て、入笠山に廻る予定だった。峠への道も全部舗装されているだろうという予想に反し、峠の麓から頂上までの途中が石ころ道になっている。おんぼろバイクでここを乗り切るのに、ちょっと苦労する。坂道を上りきって峠に出ると、その向こうに諏訪地方と八ヶ岳が見えた。
入笠山に行くには、諏訪と伊那を左右に見渡す伊那山脈の稜線上を登らなければならない。道は急だが、路面は舗装されているから、バイクも快調に進む。だが、山の頂に出る道は、まだ、閉鎖されていて通行できない。仕方がないから、山頂を周回するコースを進む。暫くすると、上図にあるように残雪が道をふさいでいる。
(やはり山行きには、まだ、早すぎるんだな)
と引き返すことにする。麓住まいの感覚で、バイクを使って山に登ると、しばしばこうした経験をする。前年の秋には金沢峠で同じような体験をしたし、今年になってからも、先日、高烏谷山の山頂手前で雪に阻まれて前進できなかった。
帰りは金沢峠まで下りて、そこから藤沢に出て帰宅した。昼食を挟んで、半日の「バイク散歩」だった。