自己充足する家
去年の秋、秋葉街道の紅葉を見ようとしてバイクで乗り出したものの、分杭峠の直前のところで引き返してしまった。そろそろ買い換えの時期が来ている私のバイクで、急な坂道を登るのは無理かも知れないと思ったからだ。春になったので、分杭峠越えに再挑戦してみようと思い立った。この前は、長谷村から峠に向かったが、今度は駒ヶ根市中沢から峠に向かうコースを選ぶことにした。おんぼろバイクでも、このコースなら分杭峠越えが可能かも知れないと思ったのである。
駒ヶ根市中沢に出るには、まず火山峠を越えなければならない。火山峠を越えると、お馴染みの茅葺きの農家が目に入ってくる。この家をこれまで何度写真の題材にしてきたことだろう。見れば、庭先の木がピンクの花をつけている。早速、デジカメを向けてシャッターを切った。
母屋の脇に蔵があり、庭先には花の咲く木がある。家・蔵・庭・木が組み合わさって一つのまとまりのある単位になっている。敷地内に生活に必要なものを全部取り込んで、自己充足的な小世界をこしらえているのである。
(そうだな、今回は「一セットを形成する家屋敷」というテーマで、写真を撮ってみようか)と思った。
少し行くと、これも何度か写真の題材にしてきたお馴染みの洋館がある。こんな山村には珍しいハイカラな建物で人目を惹きつける。植え込みで周囲を囲い込んで、独自の占有空間を作り上げている。
写真の端から端までが、この家の敷地だ
駒ヶ根市の中沢から峠道を登り始める。道がくねくねと曲がって、油断をしていると谷底に転げ落ちそうだが、坂の傾斜はそれほど急ではない。何ということもなく、分杭峠に到着した。峠にはまだ残雪があり、桜が満開の低地とは様子が違っている。
峠の頂上。右端の白いものが斜面に残る雪
峠を下りて大鹿村に入る。必要なものを取り込んで独自空間を形成している家があちこちにある。それは必ずしも金持ちの屋敷だけとは限らない。下の写真は、信州の山村で見かけるごく普通の光景で、大鹿村でも数多く見かけた農家である。家の背後には、梅が十数本植えられ、母家を囲んで作業小屋や物置があり、人間の生を営むのに必要なものが一揃い備わっている。
次の写真は、斜面を削って僅かな平坦地を作り、そこに必要な建物を一緒くたに建てたものだ。山峡の家というものは、どうしてもこうした形になってしまう。
次も敷地一杯に建物を並べた家。庭が少し狭すぎる感じがあるが、平地が乏しい山中では、複数の家を建てようとすれば、こんな具合に縦一列になってしまうのだ。
道路の下の方にある家を、停めたバイクにまたがったままで撮影した。道の下に家を建てれば、通行人に見下ろされることになるけれども、この家は屋根で外からの視線を遮っている。そして庭もかなり広く取ってある。これも山峡の家の一つのスタイルである。
山と山に挟まれた大鹿村を抜け出て、隣接する中川村に向かう。ここは南に向かって開けた平地の多い村である(旧名を「南向村」と言った)。ここまでくると、家々の感じが変わってきてスマートになる。下の写真に見る家などには、落ち着いた瀟洒な感じがある。だが、庭木が乏しいのは残念だ。
次の写真三枚は、以前に撮った写真の中から選び出したものだ。同じ村落でも平坦地にはこうした庭木を豊富に取り込んだ家が多い。植木屋が入ってきれいに刈り込まれた庭木よりは、自然林を思わせるような庭木の方がいい。
季節は田植え前
まわりを生け垣で囲んだ碁盤のうような敷地に、一セットを形成する建物群が配置されている
水田地帯のただ中にこの家があった