毎年のこと
毎年、桜のシーズンになると、地方紙では恒例のように各地の由緒ある桜を紹介する。すると、それに誘われて、新聞に紹介された桜を見に行くということをここ数年続けている。今年は、伊那市内にある「伯先桜」を見に行くことにした。
この桜は、私が15年間つとめていた学校の通学路にあったからよく知っている。中村伯先(江戸時代の俳人)が植えたという伝承がある樹齢二百余年になる「しだれ桜」で、今は天然記念物に指定されている。報道によると、この桜が衰え始め、今やその命脈が尽きそうになっているということだった。
この桜を見に行こうと思い立ったには、ほかにも理由がある。同じ市内に住んでいながら、私はもう二十年あまりも学校を訪ねていないから、以前の勤務校の様子を知りたくなったのだ。
4月6日土曜日、バイクに乗って家を出る。学校に行くには、段丘の上に出なければならない。伊那地方の学校は、ほとんどが段丘上に建てられているのである。三省堂に勤めていた友人から、このあたりの学校巡りは大変だと聞かされたことがある。教科書見本を詰め込んだ大きな鞄を持って、段丘の急な坂を上り下りしなければならないからだった。
学校に上がる坂には「大根坂」という別名がある。女生徒らが大根足で坂を上るのでこの名前が付いたのだ。もう一つ裏道があり、これには「痴漢坂」という名前が付いていた。痴漢がよく出没するからで、教師が「近頃、あそこには痴漢が出るそうだから気をつけるように」と注意すると、「面白いから、行ってみよう」とわざわざこの坂を通る生徒が現れたりした。
伯先桜は大根坂の中腹にある。来てみると、けなげに花をつけているけれど、枝が欠け落ちて余命幾ばくもないという感じになっている。しかし、根本にはひこばえが伸びている。人間と同じようにこの桜も世代交代の時期を迎えているのだった。
伯先桜 段丘を登り切る手前のところに、カトリックの教会がある。当時担当していたクラスが「教会見学」をしたいと言い出したので、ホーム・ルームの時間に生徒を引率して会堂の中に入ったことがある。説明に当たってくれた信者(中年の女性)が、最後に「何か質問がありますか」と言ったら、生徒の一人が「祈るときには、指を組み合わせるのですか、合掌をするのですか」と尋ねたことを覚えている。「形」を気にする女生徒らしい質問だな、と思ったから記憶しているのである。
学校の前に立った。春休み中なので、校内はひっそりしている。校庭で練習している庭球部の生徒が、軽やかな球音を響かせているばかりだ。学校の周りに植えられた桜がどれも大樹になって、満開の花をつけている。開校後約百年たつ学校だから、桜の樹齢も百年近くになっているのである。
校舎前面の桜並木 学校はすっかり変わってしまっていた。以前には木造だった校舎が全部鉄筋コンクリート造りに変わり、校門から正面玄関に到る通路の両側にあった大きな池や芝生は跡形なく消え、そこにも鉄筋の建物が立っている。在勤中、自分の本拠のようにしていた図書館も見あたらない。私は、浦島太郎になったような気がした。
万物黙移
という言葉が浮かんできた。いつ頃からか、折に触れてこの言葉が頭に浮かんでくる。世界は易経的循環を繰り返しながら、静かに変容して行く。私もこの変容の一環として、ほどなく消え去るのである。
目当ての桜を見た後は、あちこちにバイクを走らせて探春のツーリングをするのが例になっている。段丘を下り、天竜川を渡って対岸に出る。そして高遠の近くまで行って反転し、帰途についた。
伊那市の市街地が迫った頃、前方に大きなケヤキの木が見えてきた、ケヤキも大きいが、その下に見える茅葺き屋根の家も、これまで見てきた茅葺きの家の中では一番大きい。青い生け垣が、立木と家と蔵をぐるりと取り囲んでいる。立木の大きさから、この家が長い歴史を持った旧家であることが分かる。
「茅葺きの家」遠望 家の裏側に回り、生け垣の隙間からカメラを押し込んで、強引に邸内を撮影する。敷地内は生け垣と柵塀によって二つの部分に区分けされ、写真手前(裏庭)が草地になっている。以前はこの空き地が畑になり、野菜などを作っていたのだろう。
裏庭には水仙の群落などが見える 今度は、側面に回ってみる。生け垣も植え込みもきれいに刈り込まれ、桜が咲いている。裏にも蔵があったが、屋敷の側面にも蔵がある。
裏から見ると古色蒼然としているが、横から見ると瀟洒な感じだ 次は屋敷の正面に回ってみた。下の写真ではハッキリしないけれど、矢印で示したところが入り口で、ここを通り抜けて母屋に入るようになっている。入り口の脇が車庫になっていて、赤いクルマがとめてあった。
入り口から邸内をのぞき込んだところを写真に撮ろうと思ったが、そこまでの勇気はなかった。だが、そのうちに何気なく門前を通り過ぎて、屋敷内の様子をカメラにおさめる積もりでいる。