親であること

新聞の投書欄などを読んでいると、思わず引き込まれるような記事が載っている(以下に引用する投書はいずれも、朝日新聞に載っていたもの)。

最初のものは、福岡県で教員をやっている植木さんという方の投書で 「18歳の巣立ち」 という題がついている。この人は8年前に4人の子連れ同士で再婚して、8人の子 (2男6女) の父となった。8人の子供を持つ親は、他にもいないわけではない(先日亡くなった左幸子も8人きょうだいだった)。しかし、それは子供が間隔を置いて順々に生まれてくるのだから、経済的な負担が一挙にかかってくるようなことはない。

4人ずつの子連れ同志の再婚ということになると、話は違う。双方が同じ年頃の子供を抱えて一緒になるのだから、年齢が接近した子供を一度に育てることになる。現にこの植木家には、来春高校を卒業する娘が二人いるのである。よくまあ家計が破綻しなかったものだと、感心するばかりだ。

家族が共倒れにならないために、植木家ではルールを作った。植木さんは書いている。

我が家では18歳になると家を出す決まりになっている。寂しい気もするが、子供たちを鍛えて、よりよい人生を送らせるには早く別れなくてはならぬ。出来の良い子も悪い子も、それなりの生活をしている。冷たいようだが親も子も互いの生活を守り、あっさりとした付き合いが良いと思う。従つて正月や盆に、うちそろったりはしない。

18歳、つまり高校を卒業したら、家を出て独立するというルールなのだ。中には「出来のいい子」もいたに違いないが、公平を期して一律に学校は高校までと決めたのである。

一家が沈没してしまうことを避けるためには、子供たちを突き放して独立させなければならない。こうした非情な行動が、親の人生観そのものを変える。形式や慣習に囚われない生き方を生みだすのだ。巣立っていった子供たちと淡泊な関係を保ち、正月や盆に顔をそろえることをしないというのも、「非情な行動」の延長線上に生まれたものなのである。

私が一番感心したのは、この投書の末尾にある短い言葉だった。

願わくば、子らが今生きているのが楽しいと実感できれば、親としてほかに何も望むものはない。

親が子供に望むことは色々あるが、それらの期待が満たされなかったとところで、たいしたことはない。子供をこの世に送り出した親の身になれば、彼らが生まれてきたこと、生きていることを楽しいと思ってくれれば、それで十分なのだ。親が、この原点を踏み外しさえしなければ、親子共々心豊かに暮らせるのである。

それにしても、8人の子供を擁してこの再婚夫婦はどうやって暮らしを立てていったのか興味を感じる。子供たちの部屋割りはどうなっていたか、一人一人の子供は同腹異腹のきょうだいをどう見ているか、両親と子供の関係は本当のところどうだったのかなど、知りたいことはたくさんある。

次の二つの投書は、「悩める母親」からのものである。最初は、61歳の母親からのもので、彼女は次のように書き出している。

30代の長男はもう5年以上も家にこもっている。失業率が5%を超えたといっても無関心。働こう、杜会の一員になろうという気はさらさらない。
なまじ大学卒なので、単純作業は嫌うし、「あれも駄目、これも駄目」と、親の言うことなど聞く耳を持たない。私もほとほと疲れてしまった。これが彼の個性なのだと受けとめ、生きていてくれるだけでいいとあきらめて、将来についてはケセラセラの心境だ。

この長男は家に閉じこもって、本ばかり読んでいる。そして、時々、思いついたように、これを読めと母親に本を手渡してよこす。そこで、母親は一生懸命その本を読むのだ。

彼の心の奥底に少しでも近づけたらと、固い頭を振り絞り、読み続けている。友人もない、話し相手もない彼に、読後感を伝え、話し合うひとときが唯一のコミュニケーションの場なのだ。

こうして話し合いの場を設けているうちに、ごく僅かではあるが燭光が見えてきた。

私の心身は、ストレスでパンクしそうだったが、なるようになるしかないとあきらめた時によくなった。彼も最近、暗くなると外に出て本屋などに行くようになった。日にちがかかってもいい。杜会に出ていくことができる日を気長に待つことにしよう。

もう一人の悩める親は48歳の主婦で、次のように訴えている(「息子との会話が途切れ5年目」という題が付いている)。

23歳の一人息子が高校卒業後、,全く口を利かなくなり、親子の断絶状態になってから5年目。親である私.は理由が分からず、「細かいことを言い過ぎたのか……」などと、悩んでみたものの貝のように口を閉ざす息子にはお手上げです。夜のバイトをして昼間は寝ている息子の姿に、「これも成長の過程なのだろうか」と思ってみたりもします。

高校生くらいの子供が、親と口を聞かなくなるということは、どこにでもある光景だが、これにつづく文章を読むと、「息子」の沈黙が通常のレベルを超えていることが分かる。

話さず笑いもせず、周囲の声を遮断したいのか、耳栓をしながら無表情でコンビニ弁当を食べている息子に、「いつかは口を開いてくれるだろう」と思いつつ、親であることが情けなくなることもあります。
親なのだから、自分の子供には責任ある態度で接しなければならないと思うのですが、現実はなかなか甘いものではなく、私もつい口を閉ざしてしまう次第です。親であることが、いかに難しいか、思い知らされている昨今です。

30を過ぎても「とじこもり」をつづけたり、家では耳栓をしてしまうような「緘黙」青年は、昔はいなかったと思うかもしれない。いや、以前にもいたのである。以前にもいたが、社会全体が貧しく、「とじこもり」などしていたら、途端に一家が飢え死にしてしまうから、やむを得ず自分にむち打って働きに出ていたし、家で黙りこくっていたら、親に追い出されるから、いやいやながら家族と口をきいていたのである。

成人した息子が働かなくても暮らして行けるほど家計にゆとりが生じたことが、30男の引きこもりを生み、家で無愛想にしていても、勘当するような親がいなくなったから緘黙青年も出現する。だから、「ひきこもり」の30男も、いよいよ食えなくなれば、自分から仕事を探すようになるし、緘黙青年も彼を無条件で受け入れてくれる母親がいなくなれば、家で口をきくようになる。彼らはただ親に甘えているだけのことなのだから。

「悩める母親」が、植木さんのような割り切った態度で子供に接したら、子供は「とじこもり」にもならなかったろうし、緘黙青年にもならなかったろう。だが、その植木さんだって再婚しなかったら、子供を甘やかすただの父親になっていたかもしれない。

「家貧しくして、孝子出づ」という言葉がある。貧しい家に、孝行息子が出現するからといって貧乏になりたがる者はいない。としたら、子供が思うようにならないのは、暮らしが豊かになってきたことの副産物として甘受するしかない。漱石の「それから」を読めば、あの時代にも親に甘えて何時までたっても仕事につかない代助のような男がいたのである。

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