国史から世界史へ
扶桑社版の歴史教科書・公民教科書を著した著者の経歴をしらべて見ると、国内で一応名をなした後で欧米に研究留学したという共通点がある。推察するに、彼らは国外で研究生活を続けているうちに、だんだんナショナリズムに傾斜していったのである。
同様のコースをたどった彼らの先輩には、江藤淳がいる。江藤淳はアメリカの大学に招かれて教壇に立っていたが、帰国後、国家主義的な傾向を強くするようになった。これはなにも学者や評論家に限ったことではない。外国暮らしを体験した市民が、帰国後、排外的な国家主義者になる例もちらほら散見している。
昔は、話がもっと単純だった。
明治期に外国に出かけて勉強してきた学者や一般人は、大体において帰国後「欧化論者」になったし、欧化論に対抗して「日本主義」の論陣を張った学者・評論家の多くは、洋行体験を持たない土着組だった。洋行帰りの学者が排外的なナショナリズムに取り憑かれるようなことは、希にしか起こらなかった。では、現代になって、どうしてこうも話がややこしくなったのだろうか。大江健三郎は、たぶん江藤淳の行動を頭に置いて、こう言っている。アメリカで暮らしながら、言葉の問題その他でアメリカ人との間に友情を育てられなかったから反米的になったのだろう、と。
しかし、事はもっと複雑かもしれない。帰国後、彼らが「愛国者」に変貌するのには、心に一種のトラウマを負ったという事情があるにちがいない。
江藤淳を含め、扶桑社版教科書の著者たちは、能力に比較してプライドが高すぎる嫌いがあった。また、彼らはそれぞれ「雄弁家」でもあって、座談の席で一座を圧倒する力を持っていた。だが、外国に行ったらそれらは、もう通用しない。言葉の問題が災いして、業績は評価されず、ディベートして相手をやりこめることもできない。
そもそも、欧米の政治家や知識人は、日本人をあまり高く評価していないのである。フランスのドゴール大統領は、日本から池田首相がやってきたときに、「トランジスターラジオのセールスマンか」と鼻であしらって黙殺している。彼らは、日本人を実務に長じているものの、教養に乏しく、その人間性は希薄だと見ているのだ。
彼らがこういう見方をする背後には、ヨーロッパ文明やアメリカの建国精神への過大な自負がある。口には出さないが、彼らは自国の文化や伝統に強い誇りを抱いていて、そこから哲学なき「経済大国」日本を軽視するのである。
江藤らは、胸に怒りを抱いて日本に帰ってきた。彼らの個人的憤懣は西欧文明への抵抗精神にまで発展し、政治的には右翼に組みするようになる。帰国後、彼らは、リベラルな人権派と敵対し、平和主義や国際協調路線に反旗を翻し、戦後民主主義へのアンチテーゼとして自分たちを位置づけるにいたる。
彼らの抵抗精神にも学ぶべきところはある。だが、それが個人的憤懣に根ざし、欧米のお国自慢に対抗して、日本のお国自慢を強調する点に底の浅さがある。どこの国、どの民族にも、誇るべきところもあれば、反省すべき弱点もあるのだ。扶桑社版教科書の著者は、「日本人としての誇りを持たせる教科書」をこしらえると称して、他国と競争して夜郎自大の愚を競い合う泥仕合に落ち込んでしまっている。
テレビで見ていたら西尾幹二氏は、「大東亜戦争は善でもなく悪でもなかった」と力説していた。太平洋戦争の開始は、当時の国際関係がもたらした物理的必然だったと言いたいらしいのである。彼は国際間の対立関係・緊張関係を誇張することで、戦争を避けることのできない自然現象と同じようなものだと思わせようとしている。
こういう立場からすれば、平和を求める人間の意志など、「歴史の必然」の前では無力になる。
同じ抵抗精神でも、小田実のそれは遙かに深いところから発している。
小田は狭い日本人意識を抜け出して世界人の立場から、ものを見ている。戦後いち早くアメリカに渡った彼は、ライシャワー大使に一番いやがられる日本人となった。が、アメリカを批判する彼の視点は、狭いナショナリズムから来ているのではなかった。この点で、石原慎太郎の反米主義とは大きく異なっている。彼は世界人の立場、無位無冠の「ひと」としての立場から、道理に反するものに抵抗しているのである。ベ平連を作ってベトナム戦争に反対したのも、日本の政治動向、さらにもろもろの国際問題に厳しい注文を付けるのも、国境の枠を越えた世界人の立場からだ。
現代に必要なことは、西尾らが言うように「日本人としての誇り」を持つことではない。お国自慢的な意識を乗り越えて、小田実のように世界人としての見識を持って生きることなのだ。
今日のように人間の意識が地球規模まで拡がってくると、自国中心の観点からする「国史」というものは成り立たなくなる。自国を世界地図の中において、世界史の観点、人類史の観点から眺める歴史が必要になるのだ。
扶桑社版教科書陣営から、歴史を現代の視点から見るのではなく、過去に戻って、それぞれの時代の見方を取り込むべきだという意見が出されている。歴史学のイロハを知らない意見である。
逆説的に聞こえるかもしれないけれど、歴史の出発点は過去にあるのではない。現代にあるのだ。歴史というものは、現代人の関心領域が拡がるにつれて拡張され、現代人の問題意識が変化するにつれて書き直されていくものなのだ。つまり、歴史は現代から過去を照射することから生まれるのである。巻物を繰るように時代を過去から現在までたどることによって歴史が成立するのではない。
歴史の素材は、考古学遺物という形で、また史料という形で眠っている。時代が進むにつれて既存の素材の上に新たに発掘された素材が加わる。このとき、新発見の資料は既存の資料に単純に加算されるのではなく、その時々の問題意識に基づいて、歴史全体を再編成する触媒になるのである。
では、時代ごとにぶれる問題意識によって、歴史の骨格は限りなく変化し続けるかと言えば、そんなことはない。問題意識がいくら変化しても、各国の歴史が世界史の内部に収斂されて行くという大きな潮流は強くなっていく一方だから、歴史の骨格そのものは変わらない。歴史は、常に新しく書き換えられながら、各国史はますます深く世界史の有機的な一部になっていくのである。
扶桑社陣営は、戦後に書かれた歴史を「自虐史観」に立っていると攻撃する。そして、今や新しい史観に基づいた歴史教科書が必要だと強調する。ここまではいいのである。彼らの作る教科書が、これまでの史観よりも、もっと広く深い問題意識に立っているならば。だが、扶桑社の教科書は、世界史的視野に立とうとするどころか、その観点を矮小化して唯我独尊の一国史観 に立ち返ろうとしている。
ここまで書いてきて朝日新聞を開いたら、古田裕教授の「一国完結型の歴史観を超えて」という論説が載っていた。このなかで彼は、わが国の近現代史研究が停滞している理由を「日本人の中に、国民国家の枠組みを絶対視した一国完結型の歴史観が根強く存在し、占領の間題にしても、それを国家同士の対抗・対立の関係の中でしかとらえ」ないからだと言っている。この「一国完結型の史観」というのは、なかなかうまい表現である。「鎖国史観」といえば、もっと分かりやすくなるかもしれない。
人間には身びいきの本能があるから、他国よりも自国を愛する。愛国心とか、国益尊重とかは、身びいきの本能に根ざし、身びいきの本能はつまるところ自己保存の本能・種族保存の本能から来ている。これは別に教えなくてもすべての人間の身に備わっているのだから、事新しく学校現場で、教える必要はないのだ。
人は身びいきの本能とともに、人類みなきょうだいという人道意識も持っている。この方は身びいきの本能ほど強くない。だからこそ、教育によってこの意識に光を当てる必要があるのだ。
また、世界の各国は、人間が個性を持つように、それぞれ独自の伝統と文化を持っている。そして、それにはプラス面とマイナス面があるが、教育現場でこのプラス面だけをPRして、マイナス面を押し隠すとしたら、これこそ偏向教育ではないか。学校が取り上げるべきは、愛国教育ではなくヒューマニズム教育である。自国文化の優越性を誇るのことではなく、その反省点を指摘することである。
教科書問題を扱ったテレビ番組で、扶桑社側の関係者が今回は採択数が少なかったが、次回には必ず巻き返すと予言していた。これと同じような自信を靖国参拝問題で安倍官房副長官が見せている。首相が靖国参拝を毎年続ければ、世界的に公認されるようになるというのだ。これらの発言は、人間には身びいきの本能のほかに人道意識があることを見落としている。人類普遍の道理感覚というものを、あまり見くびってはいけない。