「ビルマの竪琴」を理解するまで
小学校四年の頃だったと思う。「ビルマの竪琴」という本を読んだ。
初めのうちは、戦争の残酷さだけしか感じられず、さほど興味を感じなかったので斜めに読んでいた私だったが、中段にさしかかる頃から、主人公水島の行動に引っかかるものを感じて、後から後から疑問ばかりわいてきた。結局その時は、疑問ずくめで終わってしまった。そして中学一年の時、なんということなしに、その本の読後感想文を書いて提出することに決めて、もう一度読み直してみた。
また、疑問がわいてきた。それで、又読み直した。すると、また、疑問が・・・・・。それから一週間、毎晩この本を読み続けた。
最後の手紙のところなど、何十回も読み直して、今でも、その文章が頭に残っているほどだ。そして、とうとう私なりに理解できた。すっと身体全体の力が抜けたような気がした。
その時の感想文に、「真理」という言葉を使ったけれど、この言葉を私は自分で考え出して書いたような気がしている。今から考えれば、自分勝手な理解だったと思う。でも、現在の私の宗教に関する考え方は、この時のそれと変わっていないし、私が尼僧にあこがれるようになったのも、この時からだったという気がするのだ。
天体写真集を見て
高校に入って間もないころ、図書館で図書貸し出しの説明があった。その際、まず手始めに一冊借りてゆくようにと指示があったので、私は好きな自然科学の棚に行って「天体写真集」を借りてきた。
それからの一週間は、勉強が終わって寝床にはいると、眠くなるまでこの本を読んでいた。5日目あたりだったと思う。1ページ、1ページ丁寧に読んでいって相当読み進んだ頃、アンドロメダ星雲の大きな写真が載っているページまでやって来た。有名な星雲である。銀河系に一番よく似た星雲だ。
あまり頻繁に出てくる桁外れに大きな時間と空間に心を奪われていた私は、この星雲をじっと眺めているうちに涙が出てきた。悲しくはなかった。それなのに涙だけが出てきた。
その星雲はいつの間にかアンドロメダから銀河系宇宙に変わっていて、私はイメージの中でそこにごく小さな太陽らしき恒星を見つけた。この壮大な星雲のなかには、地球など目に入らないほど微小だった。ましてや、人間などはどこにも見あたらなかった。
私個人について考えることは恐れ多いような気がして出来なかったし、また、考えようとも思わなかった。この星雲がひどくなつかしいものに思えた。私個人について考えるに値しなくなる宇宙。70余年の人生は、なんと微々たるものだろう。
私は、しかし、私にとっては長いに違いないこの微々たるものを、しがみついてでも大切に生きなければならないと思った。私は、これまでよりも、もっと正しく生きるべきだと思った。