おまけ


 
「死ぬまでこのままの治療技術で行こう。私はもうこれ以上伸びなくてもいい」

もうすでに十年以上前にもなるが、このように思ったことがある。一つの理由は当時余りにも忙しかったことにもあると思う。その後も時々そのように思うことがあったが、最近も話の弾みで或る患者さんを診察しながらそのように言った。

「私の今の技術でいいからと来院して下さる方にきて頂いたら良いので、あそこは効かないと思われる方は効くところへ行って頂いたらよいのです。どなたも来てくれなくなれば院をたたんで、ほかの仕事を始めます」

その方は冗談と思って聞いていたようだが、私は十年以上前から本気でそのように考えていたのです。

私の治療が効かないのなら、私は患者さんたちに来院して欲しくない。効くのなら是非来て欲しい。

伸びなくてもいい、ということは全く勉強しないということではないので、少しは伸びたかも知れない。伸びなくてもいいと思うようになってからも、結構勉強した時期もあったから。

 伸びなくてもいいが、伸びた分は『おまけ』なので、治療のおまけは治療を受ける人にただで付けてあげればいい。

 ほぼ同じ頃の十年以上前から、私は今日一日の命でいい、今日一日仕事やランニングやその他諸々のことができれば明日は無くてもいい、詰まり今日で死んでもいい、と思うようになった。

 朝目覚めると「嗚呼今日も元気に生きさせてもらってありがたい」と思うことが次第に増えてきた。朝起きて息をしているだけでありがたい、少々しんどかろうが、風邪を引いて苦しかろうが、生きているだけでありがたいと思うのです。息をしているだけで十分ありがたくて、あとは全部『おまけ』のように感じ始めたのです。

 人生のおまけだから、自分で使ってしまっては申し訳ないような気がして、できるだけ誰かのために、何かのために、できればより縁遠い人や物やことのために使っていこう、ついでに人生の借金もできるだけ返していこう、と思っております。

 『今の私の人生はおまけ』という思いが意識の内外にいつもあると、どうせおまけだから出し惜しみせずにサービスしていこうという感じで、ちょっと大らかになれるような気がして、そのお陰かこの数年心も体もどんどん元気になって、まことにありがたいことです。

芳村GO  14.9.18 
 


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